安倍首相の戦後70年目の談話は、「多文空疎」と言うらしい。
2015.08.19 Wednesday
戦後70年目の終戦記念日に、安倍首相が「安倍談話」を発表した。
今回の安倍談話には、あちらこちらから注文がついて、もともとの安倍首相の原案に、「有識者懇談会」やら公明党の意見やらが入り込んだそうでちぐはぐな感じがします。
戦後50年の村山談話、60年の小泉談話と比べて三倍くらいの分量。寄せ集めな感じで、しかも談話(日本語版?)には「私は」という主語が一つもない。同時に発表された英文を見ると「I」という主語がいくつか出てくるが日本語では全く無い。
「私は」ではなく「私たちは」と「我が国は」が多いし、なかには主語がわからない文章がある。たぶん英語では主語があるのだろうが、もともと主語を省略することの多い日本語では、主語をあいまいに濁して、他人事のような表現にしている。
【事変・侵略・戦争】というフレーズも変だと思う。「侵略」という言葉をどこかに入れなくてはならなくて、責任を回避する書き方を考えたと言われている。
今までも「アベノミクス」や「積極的平和?主義」「集団的?自衛権」「安全保障?法案」「ベースロード電源」「秘密保護?法」などの言葉のマジックを考えたブレーン?がいたと思われるが、今回もそのブレーンに相談したのだと思う。
しかし、間に合わなかったか、だいぶ文章にほころびが見える。
ドイツのハイデルベッガー元首相の言葉を借りてきたり、他では使われないようなもって回ったような言葉を使っている。そして、「おわび」がお詫びになっていない。悪いとは思わないけど、みんながお詫びを入れろと言うから、謝罪っぽい感じを残しながら、本当は謝らない。ってこと?
「ぼくは戦争を知らないから、ぼくに責任はないし、ぼくは謝らなくてもいいんだ。」という安倍さんの心の声が聞こえてくる。そして取って付けたように「積極的平和主義」が出てくる。
『世界には、まだまた戦争をしている国があり、罪のない人々が戦火に苦しんでいる。世界の一流国として、この状態を黙ってみているのは無責任だ。アメリカが世界の警察としての役割を果たしているのだから、日本も積極的にアメリカを手伝うことが必要だ。テロリストが武力でかかってくるのだから、こちらもそれ相当の武力を備える必要がある』という主張だ。これが安倍首相が掲げる「積極的平和主義」の中身である。
「 平和のための武力」「平和のための戦争」という矛盾した論理が成り立つはずがないのに、安倍首相は心から信じているのだろうか?そんな人間が首相になれる政治制度に問題があるし、そんな人に首相をやらせている日本人にも責任がある。政治制度の改革、日本国民の自覚を待っていて、いいはずがない。何をすべきか?
今回の安倍談話には、あちらこちらから注文がついて、もともとの安倍首相の原案に、「有識者懇談会」やら公明党の意見やらが入り込んだそうでちぐはぐな感じがします。
戦後50年の村山談話、60年の小泉談話と比べて三倍くらいの分量。寄せ集めな感じで、しかも談話(日本語版?)には「私は」という主語が一つもない。同時に発表された英文を見ると「I」という主語がいくつか出てくるが日本語では全く無い。
「私は」ではなく「私たちは」と「我が国は」が多いし、なかには主語がわからない文章がある。たぶん英語では主語があるのだろうが、もともと主語を省略することの多い日本語では、主語をあいまいに濁して、他人事のような表現にしている。
【事変・侵略・戦争】というフレーズも変だと思う。「侵略」という言葉をどこかに入れなくてはならなくて、責任を回避する書き方を考えたと言われている。
今までも「アベノミクス」や「積極的平和?主義」「集団的?自衛権」「安全保障?法案」「ベースロード電源」「秘密保護?法」などの言葉のマジックを考えたブレーン?がいたと思われるが、今回もそのブレーンに相談したのだと思う。
しかし、間に合わなかったか、だいぶ文章にほころびが見える。
ドイツのハイデルベッガー元首相の言葉を借りてきたり、他では使われないようなもって回ったような言葉を使っている。そして、「おわび」がお詫びになっていない。悪いとは思わないけど、みんながお詫びを入れろと言うから、謝罪っぽい感じを残しながら、本当は謝らない。ってこと?
「ぼくは戦争を知らないから、ぼくに責任はないし、ぼくは謝らなくてもいいんだ。」という安倍さんの心の声が聞こえてくる。そして取って付けたように「積極的平和主義」が出てくる。
『世界には、まだまた戦争をしている国があり、罪のない人々が戦火に苦しんでいる。世界の一流国として、この状態を黙ってみているのは無責任だ。アメリカが世界の警察としての役割を果たしているのだから、日本も積極的にアメリカを手伝うことが必要だ。テロリストが武力でかかってくるのだから、こちらもそれ相当の武力を備える必要がある』という主張だ。これが安倍首相が掲げる「積極的平和主義」の中身である。
「 平和のための武力」「平和のための戦争」という矛盾した論理が成り立つはずがないのに、安倍首相は心から信じているのだろうか?そんな人間が首相になれる政治制度に問題があるし、そんな人に首相をやらせている日本人にも責任がある。政治制度の改革、日本国民の自覚を待っていて、いいはずがない。何をすべきか?